この記事はバトルフロントコミュニティからの転載です。原文を日本語に翻訳して掲載しています。
出典:I Canadian Corps In Italy
原記事URL:https://www.battlefront-community.com/article/i-canadian-corps/
原記事公開日:2026年10月5日
著者:Battlefront Studio
イタリア戦線のカナダ第1軍団
【訳注】原文では、オルトーナでの市街戦の終結と撤退を1943年12月18日と記載しています。また、コリアーノ占領(9月14日)の後に「さらに3週間」戦ったと述べたうえで、リミニ進入を9月21日と記載しています。日付・期間には時系列上の不整合が見られますが、本訳では原文の記述を変更していません。
カナダ軍は、シチリア島への上陸(1943年7月10日)とイタリア本土への上陸(1943年9月3日)の両方に参加しました。先鋒を務めたカナダ軍は、悪天候、劣悪な道路、ドイツ軍の後衛部隊による抵抗にもかかわらず、本土での作戦の最初の1週間で75マイル前進しました。
1943年11月、連合軍はグスタフ線とベルンハルト線に到達しました。これらは周到に準備された強固な防御陣地の連なりで、ドイツ軍はそこでローマへ通じる道路を封鎖していました。連合軍はこれらの陣地を「冬季防衛線(The Winter Line)」と呼び、その突破を目指す大規模な攻勢作戦に着手しました。当初の成功を受けてモントゴメリーは「ローマへの道は開かれた」と豪語しましたが、第26装甲師団(26. Panzerdivision)と第90装甲擲弾兵師団(90. Panzergrenadierdivision)の兵員と戦車が素早く反撃し、進撃の勢いを削ぎました。
モントゴメリーはカナダ第1歩兵師団をアドリア海沿岸の側面へ移し、第78師団と交代させて攻撃の続行を命じました。1943年12月6日、カナダ軍は奇襲効果を得るために砲兵支援を行わず、モロ川を強襲渡河しました。この橋頭堡から、カナダ軍はドイツ軍を徐々に押し戻していきました。その先にあった次の強固な防衛線は、長さ3マイル、幅200ヤードの渓谷で、のちに「ガリー(The Gully)」として知られるようになります。
ここでカナダ第1歩兵師団は、塹壕に籠もる第90装甲擲弾兵師団、続いて第1降下猟兵師団(1. Fallschirmjägerdivision)の部隊に対し、熾烈な正面攻撃を繰り返しました。「ガリー」での戦闘は8日間にわたって続き、その後、降下猟兵は巧みに撤退して、1マイル余り先の小さな町オルトーナへ移りました。戦いは1943年12月18日まで、家屋ごとに争う激しい市街戦として続きました。1943年12月18日の日没までに、「ガリー」は側面から迂回されていました。降下猟兵(Fallschirmjäger)はその夜に撤退を始め、オルトーナを放棄して、アリエッリ川沿いの新たな防御陣地を占めました。
アドルフ・ヒトラー線
1944年春、ドイツ軍は依然としてオルトーナ北方の防衛線を保持していました。また、リリ渓谷を通ってローマへ向かう経路を塞ぐ、モンテ・カッシーノの強大な要塞拠点も保持していました。これらの北へ向かう経路は、グスタフ線と、その北にあるアドルフ・ヒトラー線によって守られていました。
1944年4月から5月にかけて、カナダ第1軍団を含むイギリス第8軍は、アメリカ第5軍とともにローマへ向けて進撃しました。カナダ第1機甲旅団の戦車が、連合軍の攻撃を支援しました。4日間の激戦の末、カッシーノから西岸のティレニア海に至るドイツ軍の防御は突破され、ドイツ軍はアドルフ・ヒトラー線へ後退しました。
カナダ第1軍団は1944年5月23日、ヒトラー線を攻撃しました。敵の迫撃砲と機関銃による激しい射撃の下で、カナダ軍は防御陣地を突破し、カナダ第5機甲旅団の戦車がメルファ川へ向けて疾走しました。カナダ軍はドイツ軍の断固とした抵抗を受けながら、メルファ川の対岸に橋頭堡を築くために激しく戦いました。しかし、カナダ軍が川を渡り終えた頃には、リリ渓谷をめぐる主要な戦闘は終わっていました。
ドイツ軍は、さらに西側で進撃するアメリカ軍によって渓谷内に閉じ込められるのを避けるため、素早く後退し、作戦は追撃戦へと移行しました。カナダ第5機甲師団はドイツ軍をチェプラーノまで追撃し、そこでカナダ第1歩兵師団が追撃を引き継ぎました。5月31日までに、カナダ軍はフロジノーネを占領していました。その後、カナダ軍は、それまでの奮戦にふさわしい休養を取り、再編成を行うために戦線から引き揚げました。ただし、カナダ第1機甲旅団は例外で、ドイツ軍が北のゴシック線へ撤退する間も、イギリス軍部隊への支援を続けました。
ゴシック線
1944年秋、カナダ軍は再びイタリアのアドリア海沿岸に戻り、ドイツ軍の新たな防衛線と対峙しました。この防衛線は、機関銃陣地、対戦車砲、迫撃砲と突撃砲の陣地、コンクリートに据え付けられた戦車砲塔に加え、地雷、有刺鉄線障害物、対戦車壕からなる、強固なものでした。
連合軍の攻撃計画は、東側面に奇襲攻撃をかけ、その後ボローニャへ向けて進路を変えるというものでした。攻撃が西から行われるとドイツ軍に思わせるため、カナダ第1歩兵師団はフィレンツェ付近に集結した後、密かにアドリア海沿岸へ移動しました。
8月末、カナダ軍団の全軍がリミニでゴシック線への攻撃を開始しました。8月25日、カナダ軍は、進撃路を横切る6本の川のうち最初の1本であるメタウロ川を渡りました。その後フォリア川へ進み、集結したドイツ軍と遭遇しました。何日にもわたる砲撃と厳しい戦闘が続きました。
8月30日、カナダ軍の2個旅団がフォリア川を渡り、戦いながらゴシック線を突破しました。9月2日までに、カナダ軍の指揮官たちはゴシック線の防御を破ったと確信していましたが、ドイツ軍は迅速に対応し、他の地域から師団を移してアドリア海方面の防御を増強しました。カナダ軍のリミニへの進撃は鈍り、戦闘は激しさを増して長期化しました。進撃がコンカに近づくと、先頭のカナダ軍は、オルトーナをめぐる戦い以来の宿敵である第1降下猟兵師団から射撃を受けました。西方のコリアーノ尾根でも激戦が繰り広げられました。

コリアーノの戦い
9月3日から5日にかけて、第一次コリアーノの戦いが始まりました。ロイヤル・カナディアン連隊がリッチョーネを攻撃し、カナダ・アイリッシュ連隊とケープ・ブレトン連隊は、第8ニューブランズウィック・フザーズの戦車の支援を受けてベザニーゴを攻撃しました。一方、イギリス第1機甲師団は、50時間以上の行軍を終えて到着すると、直ちにコリアーノ尾根を攻撃しました。リッチョーネからサン・サヴィーノに至る戦線全域で、双方に凄惨な損失をもたらす戦闘が2日間続き、9月5日の夕方に戦闘が終わりました。第一次コリアーノの戦いは終結しましたが、尾根は依然としてドイツ軍の手中にありました。
進撃を続けるには、コリアーノを占領する必要がありました。新たな計画では、カナダ第5機甲師団がコリアーノを攻撃し、イギリス第1機甲師団がサン・クレメンテを攻撃することになりました。9月12日から13日にかけての夜、激しい準備砲撃に続き、ニューブランズウィック・フザーズ、パース連隊、ケープ・ブレトン・ハイランダーズ、カナダ・アイリッシュ連隊、ロイヤル・ウェストミンスター連隊、そしてロード・ストラスコーナズ・ホースの戦車が、コリアーノ尾根への攻撃を開始しました。9月14日までに戦いは勝利に終わり、コリアーノは連合軍の手中にありました。
カナダ軍は尾根を占領し、ゴシック線はいよいよ崩壊するかに見えました。カナダ軍は、ポー渓谷への進路を塞ぐサン・フォルトゥナートの丘陵陣地を占領するため、さらに3週間戦いました。
9月21日、連合軍は人影のないリミニに入りました。同じ日、ニュージーランド師団が前線でカナダ第1歩兵師団に代わりました。この師団はカナダ第5機甲師団と合流し、ロンバルディア平原を横切ってボローニャとポー川へ一気に進撃する態勢を整えていました。しかし、雨が続く湿った天候によって小川は激しい奔流となり、道路の粉のような砂埃は泥に変わり、戦車はロマーニャの湿地で動けなくなりました。
ロンバルディア平原
1944年9月の雨によって、ポー渓谷へ迅速に進撃する望みは断たれました。10月11日、カナダ第1歩兵師団が前線へ戻り、カナダ第5機甲師団は軍団予備に回りました。カナダ軍は3週間にわたり、水浸しのロマーニャで戦いました。サヴィオ川の強固な防御は突破されましたが、ドイツ軍はカナダ軍を押し戻そうと反撃しました。一方、アメリカ軍はボローニャへ向けて前進していたため、ドイツ軍はその進撃を阻止するためにアドリア海方面の戦線から2個師団を引き抜きました。その結果、カナダ軍は、戦力の劣るドイツ軍師団を相手に、さらに約10キロメートル先のロンコ川岸まで前進することができました。
その後、カナダ軍団は、休養と訓練のために軍予備へ引き揚げました。一方、カナダ第1機甲旅団は、フィレンツェ北方の地域でアメリカ軍およびイギリス軍とともに作戦を続けました。同旅団が休養を与えられるのは、1945年2月になってからでした。
12月1日、第8軍がロンバルディア平原への突破を目指す最後の試みを行う中、カナダ軍団は戦闘に復帰しました。きわめて大きな損害を伴う、渡河戦闘に明け暮れた血なまぐさい1か月の末、彼らは戦いながらセニオ川まで到達しました。ここでドイツ軍は必死に抵抗し、西側面から増援を引き抜き、天候と地形の助けも受けて第8軍を阻止しました。1945年1月、セニオ川は冬の前線として固定され、ひどい天候の中で戦闘はほとんど行われませんでした。
イタリア戦役は1945年春まで続きましたが、カナダ第1軍団は1945年2月、カナダ第1軍と再び合流するため、北西ヨーロッパへの移動を開始しました。





